二宮尊徳 映画

映画の題材としてはあまり生い立ちにも花がない

面白味が映画に無くなってしまう

映画にもなる二宮尊徳は、日本人にとって尊敬すべき人物です。

薪を背負っていても本を手放さずに勉強する姿、企業は私利私欲に走らず社会貢献をすべきという思想、江戸時代後期の人物ですが、今でもここから学ぶことが多い人物です。

日本人から尊敬を集めるこの男は、これまで数々の媒体でその姿を描かれてきました。

小説やマンガといった紙媒体から、ドラマや映画といった映像まで、様々な媒体でその生き様を描かれてきたのです。

かつては日本中の小学校にあったこの銅像も、今ではあまり目にすることはありません。

軍国主義を思い出させると、銅像を撤去する動きまであります。

映画でも学生時代に一度は目にして、その姿や考え方に触れたことがある人なら、金治朗にも馴染みがあるでしょう。

しかし、銅像が撤去されて二宮尊徳の姿を目にする機会が減った若い世代には、昔の人たちほど知られていません。

薪を背負って本を読む姿を見ても、何も思うことがないでしょう。

学生時代にそうした姿を見ずに、金治朗の勤勉さに触れることがないと、やはり考え方も変わってきます。

昔はあまり目にすることがなかった私利私欲に走った犯罪が頻繁に起きるようになったのも、学生時代の教育に問題があります。

もし現代の小学校や中学校に彼の銅像があり、その姿を子どものときに目にしていたら、考え方が変わり今とは違った日本になっていたかもしれません。

とはいえ、映画では金治朗の姿や考え方は、銅像から学ぶだけが全てではありません。

映画にするほどのストーリー展開が作れないのも理由

漫画やドラマ、映画でも内容がありきたり

本や映画といった媒体を通じても、その姿や考え方に触れる機会はいくらでもあります。

特に映画は、小説とは違い映像がついて、マンガとは違い動きがあります。

小説やマンガなどの紙媒体と比べると、直感的でわかりやすいと言えるでしょう。

実際に二宮尊徳をモデルにした映画は、これまで何度も作られてきました。

古くは1950年代に、近年でも1990年代に映画化されています。

時代によって、映画のストーリーには若干の違いがあります。 これは演出も違うので全く別物に見えるでしょう。

しかし、基本的なストーリーラインは、二宮尊徳をモデルにしているので話の内容は同じです。

江戸時代の天災などで苦しむ時代に、父を亡くした金治朗が病弱な母を支えながら二人の弟の世話をするためにです。 こうして大人に混じって一生懸命頑張って働きます。

やがて病気で母は死に、幼い弟のために薪を売ったりして養っていきます。

半生を描いた映画は誰が主演しても難しい

王道の定番のストーリーの映画になってしまう

仕事に精を出すと、勉強は疎かになりがちです。

しかし二宮尊徳は、銅像にあるとうに薪を運びながらも本を片時も離さず、勉強することをやめません。

こうした映画でも描かれている勉強をやめない姿勢が、後の彼を作り上げていきます。

一生懸命に働きお金を貯めて金貸しを始めて、やがて低利で貸し出すようになり、そこから更に社会貢献についても複雑に考えていくのです。

その考えが報徳思想となり、私利私欲に走らず社会貢献をしておけば、やがてそれが自分にも良い影響を及ぼしてくれるという考え方にそこから行き着きます。

映画で描かれるのは、基本的に少年時代の話です。

しかし、少年時代の話を観るだけでも、家族を大切にする素晴らしさを感じることができるでしょう。

そうすると、自分の両親や兄弟も、同じように大切にしようとする思いが芽生えるはずです。

また、本や映像で少年時代の話に触れたら、その後のこの男についても調べてみたくなるでしょう。

調べてみると二宮尊徳の映画でもその考え方について学ぶことができて、自分も社会に貢献できる活動をしようと考えるはずです。

一人一人が社会貢献を考えて生活すれば、より良い社会に変えていくことができます。

銅像は小学校や中学校の校庭から消えてしまっても、その考え方は新しい時代の様々な手法で、映画などでも未来に受け継がれていくのです。